「評論ぐせ、上から目線を直したい」ってお悩み

「評論ぐせ、上から目線を直したい」ってお悩み

こんにちは。ナリタマトコです。

今日も心のぞうきん、お届けします。「心のぞうきん」ってなんか、「心のぞうさん」っぽくない?ゾウさんじゃなくて雑巾だよ。

けどなんか自分の中で最近、「心のおしぼり」も「心のぞうきん」も自然になってきちゃって、先日このブログ書いてアップしてから読み直したら、ブログの最後で「心のおしぼりお届けします」って書いてあって、あわてて修正したよ。シャレで書いてたらわけわかんなくなってた。

仮想銀座高級クラブ「かほこ」第112夜「評論ぐせ、上から目線を直したい」

今日のお悩みは、

評論ぐせ、上から目線を直したい

という内容。

オレのことじゃん!

 

違うわ!ぼくは別に上から目線じゃねーよ。ひょっとして上から目線?そんなことないよね。ていうか、こういうキャラなんだよ!ごめんね。

かほこママの神回答

ほんとにかほこママって毎回すごいなと思う。「自己愛」と「自尊心」。自己愛と自尊心の違いって考えたことなかったなー。この言語化には脱帽だなー。

そんなかほこママの神回答は、Voicyを聴いてね

日暮里のスナック「まとこ」の、まとこママの回答

評論したり、上から目線でいることにふさわしい自分であるようにすればいいんじゃないかな。

他人のことをジャッジするのって、「何様だよ!」って感じなんだけど、自分がその「何様」かであればいいわけじゃん。そういう自分であるように自分を高める努力をする。ジャッジするにふさわしい人格になるまで他人を評論したり、上から目線で指摘したり批判したりしない。そういう覚悟で生きてみる。

その結果、そのような立派な人格になる頃には、きっともう他人のことを不当にジャッジしたり、失礼な上から目線で評価したりするような人間ではなくなっているはずなんだよね。

そうありたいものだよね。

心のぞうきんお届けします

ぼくはかほこママのことを「すごいね」とか「神回答」とか言ってるけど、これも考えてみれば「どこから目線だよ!」って言われかねない話かもしれないんだよね。ぼくにはそんなつもりはないんだけどさ。

ぼくのこの回答だってそうだよね。そもそも自分宛に来た相談でもなんでもないのに勝手に答えてて、「何様だよ!」って感じかもしれない。そういうつもりじゃないんだけど、受け取る人によってはそう思うかも。

毎回書いてるこのブログの記事、ふざけて書いてはいるんだけれども、だけど一方で真剣に書いてもいる。相談に回答しているようで、実は自分のことを反省してもいるんだよね。そして、本当はそういう葛藤を抱えながら、自分の心の中をぞうきんで掃除している感じなんだよ。それだったら許されるんじゃないかなって。

ぼくの勝手な想像だけど、かほこママだってそうしてるんじゃないかな。人生相談に答えるにあたって、「自分にこんなこと言える資格があるだろうか」って毎回自分に問うているはず。かほこママがあの心のおしぼり活動を続けているのって、もちろん多くの人たちの心におしぼりを届けようとしてやっていることだろうと思うんだけど、それ以上に、自分に対する挑戦としてやっているんじゃないかって気がする。人生相談に答える以上、そういう自分であり続けないといけないわけだから。

今日も心のぞうきん、お届けします。

ナリタマトコでした

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