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プランタン銀座で『ライ麦畑でつかまえて』を買ったときの話をした
電話したその日の午後、約束どおり、ぼくらは渋谷の東急文化村で会った。ぼくらは大学3年生。受験から2年とちょっとぶりの再会だ。
久しぶりのエミリーは、なんだかアート系の雰囲気だ。
文化村の地下にある洋書屋さんを覗いて、同じフロアにあるドゥマゴのテラスでお茶した。
話してると、彼女は、脈絡なく「ちぇっ」って言う。

「その『ちぇっ』っていうやつ、ホールデンみたいだよ」とぼくが言うと、
「そう。キャッチャーインザライ。あの本、好き?」
と彼女は尋ねた。ぼくは、
「ぜんぜん。
でも高校生の時、あの本は必ず読まなければいけない本だ、ってぼくはどういうわけだか思っていたんだ。ある日、プランタン銀座に行ったら、古本市やっていて、なんとなく本を見て回っていたんだ。そしたら綺麗な店員さんが近づいてきて、『なにかお探しですか』って言うんだよ。
デパートの古本市なんて、探してる特定の本なんてあるわけないじゃない?だいたい古本屋って、特定の本を探すというより、在庫に自分を合わせるって感じだよね?まあ神保町以外では。
それなのにこの店員さん、わざわざ『なにかお探しですか』なんて尋ねるから、別にそのとき探していたわけじゃないんだけど『サリンジャーの”ライ麦畑でつかまえて”ありますか?』って訊いたんだ。なんか、文学好きの高校生って雰囲気でね。
ぼくとしては、どうせそんな本、この人知るわけないし、ここにあるわけないさって思いながらわざと言ったんだけど、そのお姉さん、微笑みながら、ぼくを『かわいい』みたいな目で見て、
『ああ、少しお待ちください』
って言うんだ。わ、知ってるんだ、この人!しかもほんとにあるんだ、ってうれしくなっちゃった。『サリーちゃん?』とかって聞き返されなかったからね。
でもしばらくして、
『ごめんなさい。やっぱりありませんでした』って言いに来たから、その売り場を離れたんだ。するとけっこう歩いたところで、その店員さんが走って追いかけてきて、息を切らしながら、『ありました』って。
そうなったら買うしかないじゃない?うれしいもんね。もうそれで、お金払うなりすぐ読み始めたよ。歩きながらもエスカレーター乗りながらも。そのまま地下のお店入ってサンドイッチ食べながらも。
でもあまりにつまらなくて、途中で読むのやめた。ぼくは途中で本を読むのやめるなんてほとんどしたことないのに。それでさ、出会いがいい感じだっただけに、大嫌いになったよ、あの本。でもプランタンは大好きになった。よくわからんデパートだと思っていたけど、いいお店だね」

「私もきらい。何がおもしろいのかさっぱりわかんないわ。だから『ちぇっ』ていうことにしたの。でもあなたのそのエピソードは好き。素敵ね」
彼女は昔から、こんな感じの褒め方をする。彼女から「それ素敵ね」とか「私も」って言われると、世の中くだらないのばっかと思ってる高飛車で生意気な彼女から、自分だけは認められてるって感じて誇らしくて気分いいし、
彼女が一層スカした顔で、
「あなたの○○好き」って言うのは、あなたのことが好きよっていう意味だとわかってた。
幼稚園のころから通算すると、ぼくに関するほぼすべてのことについて、そうコメントしているからだ。
けれどよく考えると、ぼくの方はスカしてばっかりで、彼女に、「これいいね」とか、「今日かわいいね」とか「君のピアノ好きだよ」とか言ったこと一度もない!ひどい。今になって気づいた。
つづきは
本ポストは
ぼくが法学部法律学科ではなく法学部政治学科に入学したヒミツ(emily1)
のつづきだよ。[/three-fourths-first][one-fourth]..[/one-fourth]