[three-fourths-first]
ピエロ恐怖症(道化恐怖症、Coulrophobia)という恐怖症
ピエロを怖いと感じる人が実は多いことが最近話題になっている。ぼくもピエロが苦手で、いつも周りの人間に「あれ怖いよね?」って言ってきたんだけど、「言われてみれば…そうね」くらいの反応で、あまり強い同意は得られなかった。
だけど子供の頃からずっと、ピエロを見ると不気味な怖さを感じたし、暗い気分がしばらく残った。あれって、愉快なキャラとして存在してるようなんだけど、ぼくは笑えるような気分になったことがない。むしろ不愉快だ。どうしてあんな不気味なメイクをして子供の前に現われるのか意味がわからなかったし、あれで笑わそうとしているなんて、ちょっとどうかしてる。あとチャップリンとかね(誰も言わないけど、はっきり言って何がおもしろいのか分からなくない?この際だからぼくは言っとく)。パントマイム(動きの技術的にはすごいと思うけど、メイクと表情が不気味だ)とかも同じ系統だ。
ぼくはピエロが怖いから、マクドナルドのドナルドも怖い。動くドナルドもいやだし、店の前に置かれてる動かないドナルドも怖すぎる(店の前のカーネルサンダースは怖くないから、やはりドナルドが不気味なのだ。ちなみに、マクドナルドのキャラクターの名前は本当は「ロナルド・マクドナルド」なんだけど、日本人にとって「ロナルド」というのが発音しづらいため、「ドナルド」ということにしたらしいよ。日本マクドナルドは、ロナルドもドナルドも正しい名称だとしているとのこと。また、そのドナルドは、涙のマークがメイクにないので、正確にはピエロではなくクラウンという。そのクラウンも同じく「道化師」だから、道化恐怖症の対象になりうる…ていうか英語のコルロフォビアを調べると、クラウンに対する恐怖症だと書いてある。てことはピエロよりもむしろドナルドに対する恐怖だというのが正しいということになる。うーむ、面白い話だ)。なので、昔から、マクドナルド行ってもあまり落ち着かなかった。ハンバーガーという食べ物はものすごく好きなんだけどね。1日に何個食べてもいいくらいだし、毎日でも食べられる。
それからトランプ遊びはもともとそれほど好きじゃないんだけど(たぶん絵札がどれも不気味で、暗いからだ)、とくにジョーカーのカードは怖くて不気味だよね。なんであんなに怖くて不気味な絵が描かれているもので遊ばなければいけないんだ、と子供の頃から思ってた。遊んでても心の底から楽しい気分にはなれない。ポーカーなんか、ウソつかなきゃいけないし。
これって、「ピエロ恐怖症」というらしい。
道化恐怖症(どうけきょうふしょう、英: Coulrophobia)は、恐怖症のひとつ。メーキャップしたピエロを見ると、本来ゆかいなおどけものを象徴したそのキャラクターに対して極めて恐怖感を覚える病的な心理。ピエロ恐怖症。英語表記をカナ転記した「コルロフォビア」も用いられる。
道化恐怖症は、いわゆる精神科医の手助けが必要な不安障害などとは異なる。恐怖感を感じる理由として「メーキャップされた顔からは、感情を読み取ることが出来ないから」「欧米ではサーカスが身近で、物心付く前、なんにでも恐怖を感じる年齢の時にピエロを見るから」「バットマンのジョーカーなど、ピエロの一般イメージを逆手にとって、逆に悪役パターンが多く、そのイメージが定着した」などの説がある。ジョニー・デップもこの恐怖に襲われており、克服のためにあえてピエロの人形を家に置いている[1]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/道化恐怖症

ジョニー・デップと同じなんだーってちょっとうれしくもあったりして。
ぼくは、NCIS Los Angelesで、LL.Cool.J扮するサムがこのピエロ恐怖症だと言ってて知ったです。「やっぱ自分のほかにもピエロ怖いって思う人いたんだ。でしょ、不気味だよね」って。
でも世間でいわれているピエロ恐怖症は医学的な意味での恐怖症ではないよ。基本的にはね。
一応名前の付いた恐怖症だったとは…。ほんと気味が悪いもんね。けれどもピエロを見て怖いと感じるとか不気味だと思うという程度であれば、精神障害としての恐怖症にはあたらない(日常用語・一般用語として使う、「高いところ苦手だから高所恐怖症」とか「人と会うのが苦痛だから対人恐怖症」などと同じようなもの。高所恐怖症も対人恐怖症も、その度合いによっては医学的にも恐怖症と診断される)。WHO(世界保健機関)のICD-10に、ピエロ恐怖症という類型は挙げられていない。また、アメリカ精神医学会の「精神障害の診断と統計マニュアル」(DSM-5)にも記載がない。
このDSM-5に従えば、ピエロ恐怖症は限局性恐怖症のひとつにあたりうると思われるけれど、限局性恐怖症の一類型として例示されてはいないことからすれば、ピエロに対して恐怖心を持つとはいっても、その恐怖反応が精神障害の程度に至る場合は典型的とはいえない(「精神障害の診断と統計マニュアル」は、日本でも、犯罪との関係で精神障害が問題となるような場合に、裁判所も参照することがあって、ぼくもひとつ前の版のDSM-4を、裁判官と一緒に調べるのに使ったことがある。被告人側から精神鑑定の申し立てがあったような場合にね)。つまり例えば、ピエロの格好をした人に対して異常な恐怖を感じ、ピエロに襲われると誤想した結果、我を失い、たまたま手に持っていた金属バットでピエロを殴り殺してしまったっていうような場合に、被告人が「自分はピエロ恐怖症という精神的問題のため限定責任能力または責任無能力状態だった」と主張しても、日本の裁判所は原則としてそのことで被告人の精神鑑定をしたり、この恐怖症ゆえに責任能力なしとはしないということだよ*。情状として考慮することはあるかもしれないけどね。
限局性恐怖症と診断されるのは、ピエロを見ると必ず、その恐怖によって、通常の狼狽の程度を超えて大量の発汗、激しい動悸、呼吸困難といった自律神経症状が生じたり、失神したり、恐怖により著しい苦痛や生活機能上の障害がみられるような場合に限られると思われるんだよね(DSM-5の診断基準参照)。そこまで恐怖反応が顕著であれば、ふつうはすでに医師に相談していると思うけれど、まだ誰にも相談したことないという場合は、心療内科、精神科などを受診するといいと思う
(でも、この恐怖症はピエロを見なければ避けることができ、一般的には、いたるところでピエロに遭遇するという環境にはないと思うから、それほど慌てて病院に行く必要はないんじゃないかと思うけどね。なぜなら、ピエロを避けられるならば生活機能上の障害はないといえるので)。
*とはいえ、よく考えてみると、ピエロが怖いとはいっても、ピエロに遭遇しただけでピエロに襲われると妄想し、襲われるのを避けるために自ら攻撃に出なくてはと思ったうえ我を失い、その状態で相手が死亡するまで殴り続けるなんていう反応はふつうの人と比べて極めて異常だから、むしろ精神障害が疑われるかもしれないね。その相手がピエロだってこと以外に攻撃する理由がひとつもなかったんだとすれば、ピエロに対する異常な恐怖によって精神に異常をきたした結果の行動だということもありうる可能性が出てくるからね(過去にピエロの格好をした人からひどい暴行を受けたことがあってピエロに恐怖心を持ってはいたけど、同時に、「今度ピエロを見たら叩きのめしてやろう」って思ってたような場合は、ピエロを攻撃する理由があったことになるから、責任無能力の主張は通らないと思う)。
逆に、日常用語レベルのピエロ恐怖症を精神障害だとすると、こんな弊害が。
わざと他人を怖がらせようとして(あるいは、ピエロに強い恐怖を感じるようになる人がいることを認識しながら)、ピエロの格好をして現れたり、恐ろしいピエロの出てくる映画を上映したりして、それらを見た人がピエロ恐怖症になってしまった場合、ピエロの格好で現れたり、ピエロの映画を上映したりした人は「傷害罪」ってことになってしまいかねないんだよ(嫌がらせ目的で無言電話を何百回もかけ、相手がいわゆるノイローゼになった場合には、傷害罪になるからね)。
だから、病気だとするとたいへんなことになるのだ。前述の、ピエロ恐怖症の人が誤想過剰防衛でピエロを殺したケースのことを考えてて思いついた。ピエロに恐怖を感じるといっても、パニックになってピエロが襲ってくると思い込んだり、自分のコントロールを失ったり、あるいは日常生活に支障をきたすほどの精神的ダメージがあるというのは典型的とはいえないんだよね。
それに、ぼくは子供の頃、テレビのワイドショー番組とかで心霊写真の特集やってるのを見たり、怪談話とか稲川淳二の怖い話みたいなのを見たりすると、夜にトイレに行ったり、独りで風呂に入ったりするのがめっちゃくちゃ怖くなり、特にシャワー中にぱっと目を開けて鏡を見て、そこにとんでもないものが映ってたらどうしようって怖くてたまらなくなったんだけど(この場合、鏡を見るのが怖くなっちゃたわけだから、心霊写真とか怪談話恐怖症じゃなくて、いうなれば鏡恐怖症かなあ?)、一般に言う程度のピエロ恐怖症を病気のひとつとするんだったら、こういうのも病気としなきゃいけなくなっちゃうでしょ。でも、心霊写真などもともと怖いと感じさせるものを怖いと感じるのは、まあいってみればふつうのことだから、そんなのは病気じゃないよね(えっ。とするとふつう鏡って怖くないものなのに鏡を怖いと思うわけだからこれってやっぱ鏡恐怖症?ちがうか。鏡そのものが怖いわけじゃなく、それに幽霊とかお化けとかが映ってる可能性を怖がってるわけで、ふつうに怖いものを怖がっているので病気としての恐怖症じゃないね。ただし、鏡恐怖症ってのもあるにはあるらしい。自分の姿を鏡で見ることに恐怖を覚えるという。ぼくのは明らかにそれじゃないけどね)。
ピエロを怖いと感じる子供や大人が、最近の調査によると実は多かった、ってことでピエロ恐怖症が有名になっているようなんだけど、それはつまり、ピエロを怖いと感じる人がわりと多いってことを意味するよね。そうだとすると、ピエロに恐怖を感じるというのはそれほど異常なことではなくて、ふつうに怖いと感じさせるものを見て怖いと感じてるってことだから、この点からも病的な恐怖症とまではいえないってことになるよね。
(ぼくは子どものころから母のことが怖くてたまらなかったんだよね。ピエロなんかよりぜんぜん怖かった。母はぼくが20代のときに死んでるからとっくの昔からいないのに、いまだに夢の中に母が登場し、ぼくは毎回、叫び声をあげて夜中に飛び起きるんだよね。死んだはずの母が出たから怖いんじゃなくて、夢の中ではずっと生きてることになってんだけど、とにかく、ぼくは何をやってても母が出るたび、「わー!お母さんに叱られる!」って思って叫んじゃうんだわ。
そのたびにうちの犬たちもびっくりして飛び起きるから、「ごめん、また夢見て寝言言っちゃった」って彼らに謝ってる。
いちばん最近のは、つい2,3週間前で、夢の中でぼくがエミリーとキスしているところを…現実にはキスしたことはないんだけど…母に見られたんだよね。彼女は幼なじみだからもちろん母は彼女のこと知ってるんだけど、ぼくらが親密だったことは知らないんだよ。うちの親と彼女の親は決定的に仲が悪かったから、ぼくらは親の前でお互いのことを話題にしなかったし。だから母にそんな場面を見られるなんて、猛烈に気まずいのだ。まあ、誰とキスする場面を見られるのも気まずいけどね。ぼくは元妻との結婚式を二人だけで挙げたので、結婚式で花嫁にキスするところすら親には見せたことなかった。
とにかく、ピエロなんかよりも母の方が恐ろしい。いないのに怖い。大汗かいて夜中に飛び起きちゃう)
医学的な恐怖症にはあたらない、日常用語レベルのピエロ恐怖症を克服するには
以上のとおり、おそらく、たいていの場合病気ではないと思うんだけど、行ったことのない人は、心療内科や精神科(恐怖症は不安障害の一種であることからすると精神科)に行ってみるのもいいと思うよ(ぼくは精神的にどうも不調だなってときに、思い切って行ってみたことあるよ。この程度の不調で先生から果たしてなんて言われるだろうって興味もあったから。あれは行ってみてよかったと思ってる。以後、ちょっとしんどかったらいつでも行けるようになったから。いつでも相談できるし)。自分の抱えている不安に病名がついたりするとむしろ安心する場合だってあるしね。
ピエロへの恐怖が精神障害にあたると診断される場合の「限局性恐怖症」(特定の対象や状況に対して著しい恐怖反応を示す、不安障害のひとつ)については、暴露療法、認知行動療法といった心理療法が有効だとされている(前者のみ有効とする見解もある)から、そうした心理療法を受けることになると思われる。
で、そうすると、医学的な恐怖症にはあたらない程度の、日常用語レベルのピエロ恐怖症だろうと自分でわかっていたとしても、カウンセリングを受けに行く目的で、まず医師の診察を受けるのもアリなんじゃないかと思う*。医学的に恐怖症と診断されるレベルで有効性が認められている心理療法であれば、それに至らないレベルの恐怖心であればなおさらよくなる可能性、すなわち克服する可能性が高いはずだから。限局性恐怖症の中でも、ピエロ恐怖症は恐怖の対象がピエロだとはっきりしている。このように恐怖の対象が明確で限定している場合の恐怖心を軽減・克服するための方法論って、わりと確立しているはずなんだよね。認識を変えてゆく、あるいは、慣れさせてゆく対象がひとつだから。
*心理療法やカウンセリングに対する保険適用の有無が診療所によってまちまちなので、一概にはいえないのだけど。
ピエロ恐怖症の原因の考察。これが結果的によかったと思う。参考になればいいんだけど。
今回考えてみて、これって恐怖症なのかなって疑問に思うようになってきた(ていうかぼくの場合は医学的な恐怖症とまでは到底言えない)。ピエロは、ほんと不気味だと思うし、落ち着かない気分になるし、ピエロのこと思い出しただけでも、心がどよーんとしてくる感じがするのは確かなんだけど。つまり、心がワサっとなるような不気味な感じやその後味の悪さのようなものは、恐怖のみからくるものではないような気がしてきた(ピエロ恐怖症が話題になってきた背景として、アメリカでピエロを怖いと思う人が実は多かったということがあるんだけど、それには恐ろしいピエロを描いた映画とかピエロに扮した人物による犯罪などの影響があるのではと考えられている。ぼくは昔からピエロを怖いと感じていたから、そうした映画などに対しては「やっぱりね。やっぱピエロって不気味だよね」と思ったわけで、映画が原因となってはいない。そこで、ぼくがなぜ初めから恐怖を感じることになったのかを掘り下げた。長文化した下記文章をそのまま載せるのは、ぼくが自分の恐怖の中身を掘り下げ、恐怖とか違和感を感じるようになった経緯や理由のもやもやしたものを言語化する過程が、もしかしたら参考になる人もいるかもしれないと思ったから。あと今これは、次段落以下の部分を書いて一旦投稿した数日後、追加で書いているんだけど、下記のように言葉にしようと試みたことで、自分がピエロに持っていたなんともいえない暗い気持ちや恐れの説明がついて、今では以前ほどピエロを不気味だとか嫌いだとか思わなくなっている気がするんだよ。好きにはならないけど、気持ちが少しフラットになった。これって自分なりに克服したんじゃないかと思う。そのことに今日気づいた)。
ピエロに関する原体験
ぼくが実物のピエロを見たのは、幼稚園か小学校低学年のころ、家族で何度か見に行ったサーカスでだった。ぼくはそこで見たときからピエロを不気味だと思ってた。ふざけたような、滑稽な動きをおおげさにしたり、わざと技を失敗する演技をしてみせたりするわけだけど、なんか笑えないんだよね。
ピエロがぼくにとって愉快でなかった原因(ピエロ恐怖症の原因)
笑えなかった原因は、表情が変わらず、目の奥も笑っていないピエロが不気味だったということももちろんあるけれど、それに加えて、ピエロを見ていてもの悲しさを感じてしまうからだったことを思い出してきた。見たのは子ども時代だったけど、子どもながらに、ピエロがわざと笑わせようとしていることや、笑われ役として存在していることを感じたんだよね。なんかそこでもともと予定されている笑いが、面白さから来る笑いではなく、「嘲笑」のような笑いであるように感じたし。
ピエロに感じる笑いの性質やもの悲しさと似た感じ
この、サーカスのピエロに感じるもの悲しさと同質なものに、よくプロレスの興行なんかで前座としてやってた、小人プロレスがあったことも思い出してきた。昔はよく、駅のホームとか街の掲示板みたいなところにポスターが貼られてたのを、学校の行き帰りに見てた。プロレス見に行ったことはないのに彼らの実際の動き方なんかも見た記憶があるから、たぶんテレビで見たことがあるんだろうと思う。彼らが、なんらかの疾患などの結果、低身長などの特徴ある体型をしていることは想像でもわかっていたし、誰かに教わって知ってもいたから、彼らの動きが一般の基準からすれば滑稽なものだったとしても、それをおもしろいとかおかしいと感じる気分にはなれず、「客を笑わせようとそんなムリをしてみせなくてもいいのに」って思っていた。
そう思いながら、「でも、あの人たちがふつうの仕事に就くことは難しいのかもしれない。それゆえプロレスはあの人たちにとって限られた生きる道なのかも。だから、やらなくていいのに、なんて思っちゃいけないのかも」とも思ったりして、悩ましかった。
だからますます、笑える気分になどならないし。彼らはプロの気概を持ってやってるだろうから、笑われてなんぼだと思って演じているに違いない。けど、そうはいっても、もしも他に選択肢がたくさんあれば、わざわざ自分の姿を笑わせる見せものとする仕事をするかは疑問だ。というかそんなはずがない、とも思っていた。そして、ここでも、本来予定されていた笑いは、嘲笑に近いものだっただろうと感じていたんだよね。
パンと見世物(パンとサーカス)
大きくなるにつれ、あのような催しやショーというのは、「パンと見世物」(パンとサーカス)にいう見世物として古代ローマ時代だとかそれ以前から行われてきたものだということもわかってきた。古代ローマ時代のサーカスが指すのは、曲芸を中心とした現代のサーカスとは異なるものであるにせよ、見世物として行われていたのはむしろもっと残酷なショーであり、だとすれば人々が熱狂したのもその残酷さゆえであろうことも想像がついた。
また、ヨーロッパに伝わる物語の多くに、こびとだとか巨人だとか鼻が長いだとかせむし男など障害をもった人物が登場していたし、それゆえ見世物においても、そのような身体的な障害を文字どおり、「見せもの」にしてきただろうことも想像できた。
道化師はもともと人々の残酷な笑いの対象だったのではないか(しかしピエロは作られた悲しいストーリーを伴うキャラクターを演じているにすぎない)
つまり、人類は(というか道化師などとの関連だと、少なくともヨーロッパ起源の文化では)伝統的に、集まっては残酷なショーに熱狂し、見せものにされた不幸な人を見て嘲笑することを娯楽としてきたということだ。だから、やはりサーカスのピエロも小人プロレスのレスラーも、そこで本来予定されているのは嘲笑に近い笑いであり、彼らは主として、笑わせることを目的としているというよりは、笑われる(嘲りを受ける)ことを目的として演じているのではないかと思う。
だから、ぼくはそのような観衆に対してはその残酷な感性や集団心理に嫌悪を感じるし、演ずる演者に対してはその卑屈さに居心地の悪さを感じてしまうのだ。初めての時からピエロを見てなんとなく感じたもの悲しさも、このためだろう。そして、ピエロの顔のメイクに涙のマークがあることも、もしかするとそんな悲しさの表われだったりするんじゃないだろうか(と思ったから、ここで検索してみた。すると、このピエロの顔に描かれる涙の由来についてのストーリーは、インターネットで検索するだけでいくつかのバリエーションを読むことができた。しかしぼくはその話のどれも「あざとい」感じがして、感動はしなかった。要はピエロって笑った顔だけどその裏には悲しさを抱えているよってことなわけで、だとすればそんな容易に想像できることを示すために、ピエロに扮する誰もがいまだに毎回、出演にあたりいちいち涙のマークを描いていたのか、とがっかりするし、自ら語らずともその涙のマークの由来となるわかりやすい感動ストーリーが実はちゃんと用意されていた(存在していた)わけで、だとすると涙のマークはあまりに思わせぶりすぎる気がする。もっと控えめなものであってほしかった。「ピエロ」というのはある戯曲に描かれた道化師の一人なのであって、だから、そんなに単純な使い古されたキャラクターにいつまでも固執せず、道化師なら道化師で新たなキャラクターを見つけるべきだと思う。パフォーマーとして)。道化師の歴史的経緯からくるもの悲しさと、ピエロが演じている悲しいキャラクターとは区別されるべきかも、と思う。とすると、「ピエロ恐怖症」というのはあまり正しくなくて、「道化恐怖症」というのが正しいんだね。
道化師の歴史
ピエロを含む道化師の歴史を調べてみると、古代エジプト時代に起源を持つらしい道化師は(というか道化師的存在はどの時代のどの国にも大抵はいたようで、系譜はひとつではない)、中世のヨーロッパにおいては宮廷道化師(宮廷愚者)として王など特権階級の者により、彼らを楽しませる存在として雇われていたとされる。
そしてその宮廷道化師には小人症などの身体的障害を持っているものが多く、笑いものとしての対象にされていたというから、ぼくが、子どもの頃からピエロや小人プロレスに対して感じていたもの悲しさとか、嘲笑的な笑いなんじゃないかなどという感覚は、道化師の歴史からするとむしろ妥当な感覚だったことになる。
欧米のショービジネスに小人症の人々が多く出ていると感じる
ちょうど最近、欧米人てのは舞台や催しなどエンタテインメントのシーンに、小人症の人を頻繁に使う人たちなんだな、と思っていたところでもあった。ぼくにとっては、前述のとおり、彼らの姿や動きは滑稽なものでもおもしろいものでもなく、複雑な感情になってしまうだけなんだけど、彼らがあんなに積極的に小人症の人たちを起用するのは、彼らの自立を助ける意図があってのことだったり、多数派とは異なる身体的特徴を持った人たちをあえて特別視しないためだったりするんだろうか、などと考えさせられる。
しかし、どう考えても、その身体的特徴を「滑稽なもの」として見せているか、少なくともその特徴的な姿形を持つがゆえに演者として成立しているわけで、それはつまり障害を持つため特徴的となっている身体を見せものにしているように思えてならない。
Tomorrowlandみたいな音楽フェスなんかでも、舞台や会場のあちこちで踊るダンサーに、小人症の人がいる場合が多い。それがヨーロッパに伝わる物語の世界の雰囲気を出しているようでもあるんだけど、伝統的にこういう人たちに芸をさせてきたことでもあるんじゃないのと思って、ぼくは複雑な気分にもなるんだよな。
トランプの「ジョーカー」、タロットの「愚者」「死神」などにも道化師が描かれていたりもする
ぼくが苦手だった、トランプのジョーカーのカードに描かれているのも大抵はこの宮廷道化師らしい。トランプの他の絵札にはいずれも宮廷内の人間が描かれていることとも符合する。道化師には前述の小人症など身体的障害をもつ人のほか、精神遅滞の人も採用されていたらしいが、それは精神遅滞の人による突拍子もない発言を王侯らが面白がって好んだからだともいわれ、それがジョーカー(面白いことを言うから)の名の由来だとする説もある。また、宮廷道化師は、タロットの「愚者」のカードに描かれていたり(宮廷道化師は、宮廷愚者とも呼ばれるが、もともと精神遅滞の人を「愚者」といっていて、前述のとおり精神遅滞の人が宮廷道化師になる場合もあり、それゆえ宮廷愚者とも呼ばれるようになり、その図柄が「愚者」のカードだとの説もある)、タロットの「死神」のカードに道化師の格好をしたものが描かれているものもある(これはまさに、シリアスな場面でも空気を読まずに面白いことを言ったり笑わせる行動をしたりすることこそが求められた道化師が、王以外の人々からは当時から不気味だとか理解できぬ存在だと思われていたことの表われなのではないだろうか)。

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