ぼくはPTの提唱者に弟子入りした W.G.ヒルに会った唯一の日本人

ぼくはPTの提唱者に弟子入りした W.G.ヒルに会った唯一の日本人

PT(Perpetual Traveler, Permanent Tourist)
永遠と終身のあいだ (*1)

作家橘玲氏の作品「永遠の旅行者」には、以下のような一節がある。

1990年代に入ると、アメリカ生まれの国際投資家W・G・ヒルが、居住者とみなされない範囲で複数の国に滞在することで合法的無税化が実現できるとの理論を提唱した。(中略)理屈のうえではすくなくとも3つの国を順番に移動すれば、どの国の居住者にもならず、どの国にも合法的に税金を納めなくてもいい立場が手に入る。これが「永遠の旅行者」(Perpetual Traveler)で、その頭文字をとってPTと呼ばれる”
(橘玲「永遠の旅行者」幻冬舎 2005年)

この作品の主人公は、32歳の元弁護士で、著者の橘玲氏らが主宰していた海外投資の情報交換掲示板にそっくりだろうと思われるインターネット掲示板でPT理論を知り、PTのライフスタイルを実践している人物という設定だ。本作品を含む橘氏の長編小説の主人公たちはいずれも、ここに描かれるのと同一のインターネット掲示板に、なんらかの関わりがある設定だ。

ぼくも32歳くらいのときに海外のサイトでPTの概念を知った。弁護士で、かつ元来リバタリアンな思想のぼくには、PT理論はとても魅力的に思え、W・G・ヒルの著作はすべて買い、ニュースレターも取り寄せて読んでいたくらいハマったのだけど、当時のぼくは既に結婚していたため、PTの実践は難しいかなって思ってた。もしかしたら、「ああ、なんで結婚しちゃったんだだろ」なんて非道なことも頭をよぎったかもしれない。

PTのことでそんなばかげたことを考えたバチがあたったわけではないと思うけど、何年かして妻は去って行った。独りになって、失意の中インターネットをしていたら、W・G・ヒルと知り合った。彼のサイトで彼宛に質問をしたところ、ていねいな返事が返ってきたのだ。メールでのやりとりを重ねたあと、彼から「弟子にしてやるからこっちに来ないか」と誘われた。離婚のショックで人生にやけくそ状態だったぼくは、それもおもしろいかも、と思い、仕事や研究を放り投げ、身の周りのものを処分し、妻との思い出のマンションも引き払って、スーツケース1つで日本を出た。

こうして、ぼくはPTの提唱者のもとでPTになった

ぼくはW・G・ヒルと実際に会ったことのある唯一の日本人だ。

(*1)
作家で弁護士の牛島信氏は、橘玲「永遠の旅行者」文庫版のあとがきで


この小説の表題でもある「永遠の旅行者」は、PT、つまりPerpetual Travererの訳語として厳密には正しくない。人間であれば誰も永遠に旅行するとはできないからだ。正確には終身旅行者と言うことにすぎない。人は死ぬからである

という趣旨のことを述べている。しかし、

 

  • ぼくの推測では、PTって言葉と概念を初めて日本に紹介したのが橘氏らのグループ(実際紹介したのは木村昭二氏だと橘氏がブログでお書きになってるが)だったから、橘氏はPTの訳語を決めていい立場にあるともいえるんじゃないかなと思う
  • 橘氏は、本作品を書くずっと前からPT理論には精通し、上記グループのメンバーらとともに、PTを日本語に訳した場合になんと称するべきか議論を重ねてきただろうと思われる。そして、本作品を書くにあたっては、候補となるいくつもの訳語から、小説の題名にふさわしいものとして「永遠の旅行者」を選んだのだろう。候補には、当然、「終身旅行者」も含まれていたことに疑いはない。 そして、先にPTについて著書を出版している、ご友人の木村昭二氏が「終身旅行者」という訳語を当てている(2*)ことや、その趣旨(PTは、生きている限りで移動を続けることになるから「終身」としたこと)も熟知していなかったはずがない。それでもあえて「永遠の旅行者」としたのは、「永遠の」という語に、題名にふさわしいロマンティックな響きがあることを重視したからに違いない。この小説は文学作品であり、PTに関する実用書の類ではないから、タイトルに専門用語を用いなければならないいわれはないし、命の終期のある人間が永遠に旅行を続けられないことは自明であるが、だからといって、「死ぬまでずっと」という意味の譬えで、「永遠の」という表現を用いることが誤りであることにはならない。
  • 「永遠の眠りにつく」とは、人間が死ぬことを意味する表現のひとつだ。
    「人はいつか死ぬから、永遠に眠ろうとしても、眠っている間にいずれ死んでしまうが、それ以前は生きているわけだから、眠りについた時点を死亡時期とするこの表現は誤りだ」なんてツッコミしますかね?
  • 「永遠に帰らぬ人となる」も、人の死亡をあらわす表現のひとつだ。
    「永遠の旅行者が旅行中に旅行先で死亡すれば、それ以上は旅行を続けられないから、永遠の旅行者だとはいえなくなる。同時に、死人である以上、帰ることもできないのであるから、永遠に帰らぬ人となったといえる。しかし、旅行ははじめから永遠はにできないわけだから帰ることが前提となっているはずなのに、旅行先で死んだら「永遠に帰らぬ人となる」というのはなんかおかしいよね。うまくいえないけど。
  • それに、 小説のタイトルとして、「永遠の旅行者」と「終身旅行者」ではかなり印象が異なるよね。後者のだとめっきり読む気しないね。ぐっと貧乏くさくなるね

(2*)木村昭二氏によるPTの解説書のタイトルは、「終身旅行者PT」となっている。木村氏は、橘氏らの海外投資を楽しむ会等の主要メンバーで、橘氏のご友人である。もしかして、会では、PTの日本語訳で、説が分かれていたのかな?

なお、フェイスブックのプロフィール欄によれば、木村氏の肩書きには、PT研究家のほかに、
「空撮研究家」とある。
「空撮研究家」って何?って思ったら、ドローンを使ってあちこち空撮しているらしい。
ぼくは、 空爆かと思ってドキッとした。軍事好きが高じてドローンで爆撃までしているあぶないおじさんかと
だって最近はドローンつったら無線操縦のマルチコプターっていうのが一般的な認識のようだけど、ちょっと前までは、ドローンって、もっぱら軍事用の無人標的機、無人偵察機、無人爆撃機を指してたでしょ。近年はアフガニスタン、イラク、シリアなどで実戦投入された無人爆撃機にまつわる様々な問題が議論されていたところだし。
いずれにしても、木村昭二氏は趣味を仕事にするのがとても上手。楽しそう。

興味深いことに、この、日本におけるPT研究の第一人者である木村昭二氏は、
PTをパーマネントトラベラーとしている(橘氏は パーペチュアルトラベラーとする)。
日本語訳の違いはここから来ていたりして。
でも提唱者のヒル自身が、パーペチュアルだとかパーマネントだとか、トラベラーだとかツーリストだとかいろいろ言っているからなあ。なので何が正しいってことはないんだと思うんだけど、
個人的には橘玲氏と同じく、パーペチュアルトラベラーってのが美しいと感じる。

だって、「パーマネント」って髪の毛のパーマ(パーマネントウェーブ)をイメージさせる古くさくて安っぽい昭和の響きだし、「人間は永遠には旅行できない」とか言ったって、

(i)時計だって永遠には動くはずないのに、「ロレックス オイスター パーペチュアル」とかって名前ついてるじゃないですか。しかもそれ、価格からいって、けっこう高級で高性能なイメージのブランドとして浸透していますが、動き続ける時間の長さからいったら、必ずしも高級・高性能ではなく、むしろそぐわない価格だともいえるくらいなんですよね。自動巻だからパーペチュアルって、この時計は、ゼンマイとは無関係に止まるんですよ。つまり巻いても巻いても永遠になんて動き続けない。

(ii)ていうか、仮にこの時計の名称の日本語訳をつくる場合に、「ロレックス終身カキ殻モデル」とかにするのかって話。永遠になんて動くわけじゃないから「永遠」は使えず、機械であって人間じゃないから、「終身」は使えないよね。それに、人間は死んだらすべての活動を停止するから(死んだら終わりだから)、死ぬときまでって意味で「終身」なんでしょ?ロレックスなんて時計なんだから、止まるまでは動いてる。止まるまで動くなんてトートロジーっつうか、動かなくなることを止まるっていうわけだから、仮に人間以外に「終身」を使えるとしても、ロレックスが止まるまで動き続けることを殊更に「終身」とは言わないよね。つまり、永遠か終身かは終期が来るかどうかで使い分けるべきものではないということ。

(iii)属地主義の国にとどまっちゃったら課税されるわけだから、いったんPTになったら、死ぬまで移動し続けなければいけないともいえるので、それを「永遠の」って表現することも許される気がするし(牛島先生はそれを「終身」ていうんだろとのお立場でしょうけれど)、旅行者のまま死んだら、ある意味それをもって「永遠に」旅行者だといえるとも思いますしね。死んだら保険の被保険者ではなくなるから終身保険でいいけど、旅行者であることをやめないまま死んだ場合、旅行者でなくなるってわけではないという見方もできるわけですよ。

(iv)永遠に~できない、というのを理由として、「永遠」て言葉が使えないというなら、そもそも厳密な意味で永遠に続くものなんて存在しないんだから、永遠って言葉を使える場面はないということにもなるね。永遠って言葉があること自体がおかしいね。そして「ふたりは夫婦として永遠の愛を誓った」などという表現は許されないことになり、ダイヤモンドが売れなくなっちゃいますね(「いや、愛の場合はEternal だから永遠でいいんだよ」なんて言うのは無しでお願いします。永遠に愛せる人はいないでしょ、必ず死ぬんですから。「いや、永遠に続くのは人間の方ではなく、愛なのだからOK」ってのも無しでお願いします。ふたりが生きていなければ愛情の主体が存在しないのですから。もしここで愛は永続するんだというならば、旅行者だっつうスタンスや概念も永続しうるというべき)。

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